若手俳優おたくの随想

わかはいおたくの文字置き場

推しとの「未来」を考える

 

 

「——それで結局、あなたは推しとどうなりたいの?」


このような言葉は存外、あらぬ方向から降り注いでくる。

もちろんオタク同士の会話の中でも往々にして挙がる議題のひとつであったりするわけだが、オタクではない友人とのご飯中だとか、勤務先の先輩だとか、そういう無意識の先から核心をつくようなひとことを投げ込まれるのだ。


そもそも、私と推しは現在どのような関係であるのか?


答えは「活動者とそれを応援するひと」これに集約されるべきである。この先の未来もその根本的な関係性は不変でありたいものだ。


閑話休題


所謂パンピと言われる類の外野からの「どうなりたいの?」という疑問は即ち「あなたそんなに推しにお金と時間かけてるけど、結局ワンチャン狙いなの?相手は芸能活動してる人だよ?」的な意味として受け取れるだろう。まあ正直自推しにはワンチャンもネコチャンも求めてはいないのでこれに対する回答は「別に……」となる。


しかしこれが内輪での会話の中で挙がった一文だとすると話は変わってくる。

「推しとどうなりたい?」という一文は「推しを応援していく中でどのような関係性を築いていきたい?」とか「今後どのような応援スタイルでいきたい?」みたいな意味になる。たぶん。


私の周りには愉快なオタクたちが沢山いて「毎日手紙出してるリアコ」とか「1舞台300枚発券するチケ業務プロぽたく」とか「世界ツアー全通ガッツ」とか「オフの推しと成り行きで飯を食う古参」とかまあ色々いる。応援スタイルが三者三様であるようにそれぞれが辿り着きたいと考えている終着点もまたそれぞれに異なるものだと思う。

途中経過?である「認知」ひとつとっても度々認知されたいorされたくない議論とかあるしね(ある?????)


私はどうなりたいんだろうなあ


かつて「推しの休憩卓になりてえ!!!」なんてほざいてた時もあったけど多分私への接触対応を鑑みるに休憩卓には程遠いだろうなと自覚しました。別に接触の時に気兼ねなくお互いタメ口で雑談出来る=休憩卓にはならないんですよね。多分。私個人の理想像としては「気兼ねなく接することが出来る間柄」だけれども、そもそも«接触»に対して(直接的ではないにしろ)金銭が発生している以上それを極めることは出来ないと思うんですよね。向こうにとっては«私»は顧客だし活動者は結局自分という商品を提供しているに過ぎないので。結局どのような見掛けの関係性を構築しようとも活動者とそれを応援するひと、という根っこは変えられないものだと思う。


ところで、推しと話していて不意に言われた言葉がある。これは推しにウッカリ懐古してしまった時の返答になるのですが、曰く「出来るだけ長く、いつか愛想を尽かす時まで見ていて欲しい」と。ま~~~~そりゃそうですね~~~!!!って感じなんですが、推しにとっては「いつから」応援しているとか「どのくらい」応援しているとかよりも「いつまで」応援してくれるかの方に結構重きを置いているんだな~~と思わされた瞬間でした。まあそりゃ古参で金払いがいいオタクがいることに越したことはないんだろうけど。現場に沢山入るに越したことはないんだろうけど。この先をなるべく長く共に見て欲しいって考えは目から鱗でした。


私は思考がクソ害悪なので「より通っている人が」「より金を出す人が」「より古くから応援している人が」【偉い】という考え方になりがち(さらに付け加えるなら「より良席のほうが【強い】」とか思っている)なので活動者からの意見がそれとは異なるというのは結構衝撃でした。まあ推しぴがいい感じに綺麗事言ってるだけかも知れんけど。


まあ言われたのは接触とかいう営業の場だし本音を聞いたら多分違ったりするんだろうけど「もっと(回数)沢山通って」じゃなくて「もっと(年数)沢山通って」っていう意見は覚えておこうって思いました。


それでも私は熱しやすく冷めやすい人間なので絶対数年後には降りてるだろうし、なんならもう推しに「いつかは降りると思うけど〜」って話もしてるし(ド害悪)。

推しぴは大変天才であらせられるのでその時は「でも俺は日高ちゃんのこと降りさせやしないから😏😏」って返答をくれたんですが(※先述の長く見てて欲しいって返答の接触より前の話)まあフツーに降りると思うんですよいつかは。

いつか来る「その日」に私はなにを思うのか。願わくば推しの事を嫌いにならずに清々しくその日を迎えたいものですね。

 

 

 

推しぴ〜!いつまでも健やかであれよ!!!

 

 

 

 

 

 


おしまい